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日本车辆为何靠左行驶?(在线日语学习网

来源: | 更新日期:2018-11-02 11:50:18 | 浏览(641)人次

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道路交通のルールは一体なにを根拠に決められて定着したのだろうか?



道路交通规定,到底是根据什么来制定的呢?


植民地支配と道路交通規則の関係


殖民地统治与道路交通规则的关系



道路交通規則の現状がどうなっているか、まずは身近なアジア地域から見ていこう。西欧列強による植民地支配と密接な関係があることが分かるはずだ。



首先,让我们来看看离得比较近的亚洲地区的道路交通规则现况。就可发现这与西欧列强的殖民统治息息相关。



ベトナムが右側通行なのは、ベトナムが、ラオスとカンボジアとともにフランスの植民地になっていたからだ。いわゆる「仏領インドシナ三国」である。大日本帝国による占領時代を除いて、1887年から1954年までフランスの統治下にあった。



越南靠右行驶,是因为和老挝、柬埔寨一样,曾是法国的殖民地。换言之,是“法属中南半岛三国”。除了1887年到1954年曾被日本占领之外,一直处于法国统治之下。



中国が右側通行に統一されているのに香港が現在でも左側通行なのは、香港が「アヘン戦争」(1840年)以来、英国の植民地だったからだ。英国は左側通行である。1997年の「香港返還」後も、「一国二制度」のもと香港の自治が50年間維持されることになったため、社会インフラに関しては返還前の制度がそのまま維持されているのだ。



中国则早已统一靠右行驶,而香港至今靠左行驶,是因为“鸦片战争”(1840年)后,成为了英国的殖民地。而英国,就是靠左行驶的。1997年“香港回归”后,因“一国二制”香港自治50年不变的原因,社会基础设施相关的制度仍保持回归前的样子。



東南アジアのシンガポールやマレーシアも左側通行だ。いずれも「英領マラヤ」として大英帝国の統治下にあった地域である。植民地支配は18世紀から20世紀まで約2世紀に及んでいる。ブルネイもまた左側交通なのは、同じ理由だ。



东南亚地区的新加坡与马来西亚也是靠左行驶,因为两地都曾作为“英属马来亚”被大英帝国所统治。殖民统治一直从18世纪持续到20世纪,整整200年的时间。文莱也是靠左行驶,理由同上。



インドネシアとマカオも左側通行である。インドネシアとマカオは、それぞれオランダとポルトガルの植民地だった。オランダとポルトガルは右側通行の国だが、かつては両国とも左側通行の国であった。



印度尼西亚和澳门也都是靠左行驶,分别曾是荷兰和葡萄牙的殖民地。虽然荷兰和葡萄牙现在都是靠右行驶的国家,但过去也都是靠左行驶的。



南アジアでは、インドとパキスタン、バングラデシュ、ネパールとブータン、そしてスリランカが左側通行である。これらの国々が英国のインド植民地だったからだ。鉄道の軌道に関しては「分割統治策」の観点から統一させなかった英国だが、植民地時代はモータリゼーション以前であり、左側通行がそのまま残ったということだろう。



南亚地区,包括印度、巴基斯塔、孟加拉国、尼泊尔、不丹和斯里兰卡都是靠左行驶,这些全都曾是英国的印度殖民地。殖民地时代,英国在关于铁路轨道的“分割统治政策”上未能统一,在汽车普及化之前,靠左行驶的习惯就这样被保留下来了。



オーストラリアやニュージーランドも、また左側通行だ。実はこの2カ国は現在でもエリザベス2世女王を元首としており、英国から総督が派遣されている。国家元首と総督の地位は名目上のものに過ぎないが、それでも制度上は立憲君主制なのである。この2カ国が左側通行であるのはきわめて自然なことだ。



澳大利亚和新西兰都是靠左行驶,其实这两个国家现在仍以伊丽莎白女王二世为国家元首,接受英国派遣的总督。虽然国家元首和总督的地位不过是徒有虚名,但毕竟是君主立宪制,因此这两个国家实行靠左行驶也是理所当然的。


ナポレオン戦争で右側通行が普及


拿破仑战争普及了靠右行驶



英国は左側通行だが、欧州大陸は基本的に右側通行である。欧州大陸が右側通行になった理由は、18世紀初頭のナポレオン戦争以降のことだ。



英国虽然是靠左行驶,欧洲大陆基本上还是靠右行驶的多。其原因,便是18世纪初期的拿破仑战争。



ナポレオン率いるフランス国民軍に敗退し、その支配下に入った欧州大陸の諸国には、フランスが生み出したさまざまな諸制度が移転された。その1つが右側通行であった。ナポレオンは軍事上の必要性から右側通行を制度化し、道路標識なども導入していた。



被拿破仑率领的法国国民军击败,欧洲大陆各国被拿破仑统治,因而法国带来的各种制度便传入了各国。其中之一便是靠右行驶。拿破仑因军事需要,不仅规定靠右行驶,还导入了道路标识等。



米国が右側通行になったのは、そもそも米国が英国から戦争によって独立を勝ち取った国であり、英国と米国の関係は長期にわたって反目し合っていたことを考えるべきだろう。米国に「自由の女神」を寄贈したのはフランスである。



美国变成靠右行驶,是因为美国是通过战争从英国手中获得了独立,两国经历了长期复杂的关系,反而成了对立方。再说赠予美国“自由女神像”的是法国。



また、隣国のカナダが英国の自治領でありながら右側通行にシフトしたのは、米国と陸続きなためだ。



另外,邻国加拿大虽说是英国的自治领地,也无视他们的靠右行驶,也是因为陆地与美国接壤吧。


なぜ日本は左側通行になったのか?


为何日本是靠左行驶呢?



日本は明治維新後に「近代化」の一環として近代的軍隊制度を導入した。近代的軍隊の創設にあたって、日本陸軍は最初はフランス陸軍、その後はドイツ陸軍にモデルを求めて制度設計した。当時はまだ自動車の時代ではなく、軍隊の移動や輸送には馬が使用されていた。



日本在明治维新后,作为“近代化”的一个环节,导入了近代化的军队制度。在近代军队的创设时,日本陆军最初是以法国陆军,之后是以德国陆军为原型来设计的。当时,还没到汽车时代,军队的转移与输送仍然需要使用马匹。



ドイツ陸軍は、基本的にナポレオン戦争後にフランスの制度をもとに設計されたプロイセン陸軍を中核としていた。そのため、当然のことながら最初から右側通行であった。よって、フランス軍、ドイツ軍をモデルにした日本陸軍が右側通行を制度として導入したのは当然のことであった。



德国陆军也是以拿破仑战争后的法国制度为基础设计的普鲁士陆军军队,因此,最初自然也是靠右行驶的。于是,以法军、德军为原型的日本陆军,自然而然也引入了靠右行驶的制度。


では、なぜ日本の道路は左側通行になったのだろうか?


那么,为何日本的道路交通是靠左行驶的呢?



日本の道路が左側通行になったのは、1900年(明治33年)の「警視庁令」(道路取締規則)による。のちに警視総監となった松井茂は「特別な理由や研究に基づいたものではない。なんとなく左側通行がよいと考えた」からだったと回想しているという。



日本道路靠左行驶,是根据1900年(明治33年)的警视厅令(道路取缔规则)而执行的,之后成为警视厅总监的松井茂表示,“也没有特别的理由和研究,不知为何觉得靠左行驶也蛮好的。”



「なんとなく」という決め方に驚かされるが、さらに以下のようなエピソードが紹介されている。



“不知为何”这种决策方法真是令人震惊,再来说一则小趣闻。



陸軍ではすでに右側通行がすでに実施されていたため、警察としては右側通行を主張する当時の内大臣・西郷従道(西郷隆盛の実弟で日本陸海軍建設の功労者)を説得する必要が生じ、その任に当たった松井と西郷の間でこんな会話が交わされたのだという。



当时,陆军已全面实行靠右行驶,为了说服当时的内阁大臣西乡从道(西乡隆盛的亲弟弟,是日本陆海军建设的有功之人),作为警察主张靠右行驶的松井与西乡之间曾进行过这样的对话。



西郷から左側通行の根拠を厳しく問われた末に、松井が「(左側通行には)別に理由はありません。ただこれだけですよ」といって左の腰から刀を抜くまねをしたら、「うむそうか、よかろう」といって西郷は承知したのだという。武士が左腰に刀を差していたから、ということらしい。松井氏自身がこのように回想しているそうだが、重要な決定というものは、案外こんな理由で決まってしまうのかもしれない。



在西乡严肃询问靠左行驶的根据时,松井却来了一句“没啥理由,就根据这个”,说着便从左腰拔出了刀,“原来如此,可以啊”就这样西乡便应允了。因为武士是从左腰拔刀,便靠左行驶。松井自己回忆起来是这么回事,而重要事情的抉择,其实只是源于一个很小的理由。



つまるところ、日本の道路が左側通行になったのは英国の影響ではないのである。左側通行ということで、なんとなく同じ島国である英国に親近感を感じる人は少なくないだろうが、単なる偶然の一致に過ぎないというのが真相らしい。



归根结底,日本靠左行驶的交通规则并不是受到了英国的影响。靠左行驶,让不少人总觉得和同为岛国的英国颇有亲近感,而真相不过是纯粹偶然一致罢了。


世界のスタンダードは右側通行


世界范围的交通基准是靠右行驶



とはいえ、世界の大勢は右側通行にある。国連加盟の主権国家193カ国のうち、現在でも左側通行の国は55国だ。これだけみても左側通行が少数派になっていることが分かるが、人口ベースでみればさらに少数派であることは歴然である。右側通行が世界のスタンダードであることは否定できない現状なのだ。



即便如此,世界范围内的普遍趋势还是靠右行驶。在加入联合国的193个主权国家中,现在仍然靠左行驶的仅有55个国家。就这一点来说,靠左行驶是少数派,而从人口基数来看,就更为明显了。靠右行驶是世界标准,这一点毋庸置疑。



今年2018年は「明治維新150年」である。「国家百年の計」という観点からしてみれば、日本が1900年に左側通行を採用したことが果たして正解だったのかどうか考えざるを得ない。1900年の時点では、1950年代のモータリゼーションを予見できなかったのは仕方ないかもしれないのだが。



2018年是“明治维新150周年”,从“国家百年大计”这一观点来看,不得不思索日本自1900年采用靠左行驶是否真的合理。在1900年代,未能预见1950年代开始的汽车普及化的发生也许是无可奈何的。



日本の道路交通規則を左側通行から右側通行に変更することは、社会的混乱をもたらすため、可能性としてはきわめて低い。右側通行が世界の大勢とはいえ、日本は島国であり完結した小世界であると考えれば、その必要性も高くはないだろう。ただし、左側通行は右ハンドル車を意味するのであり、グローバルビジネスの観点からいえば、かならずしも有利であるとはいえない。



而即使将日本的道路交通规则从靠左行驶改为靠右行驶,也几乎不可能导致社会混乱。虽说靠右行驶是世界趋势,从日本这一自成一格的岛国小世界来看,也不是非改不可。不过,靠左行驶就意味着车子的方向盘在右边,从全球经济的观点来看,就恐怕不是那么具有优势了。



社会制度の設計というものは、将来予測を踏まえて、よほど慎重に行わないと将来に必ず問題が発生する。左側通行の採用は、そんな事例の1つとして考えるべきだろう。



社会制度的制定,必须以预测未来为基础,稍有不慎,必定会在将来产生问题。采用靠左行驶这一事例,值得我们深思。
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