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日语阅读-邻居

来源: | 更新日期:2010-01-05 15:25:08 | 浏览(308)人次

隣の住人
 
 
     歳月がながれて三十数年ぶりだった。新聞社の取材に応じて、京都下鴨宮崎町、鴨川のほとりを訪れた。
     新聞社の夕刊には、青春の地を訪ねる連載があった。私にもその注文が来たのである。
     四条大橋の西側たもとで待ち合わせることにした。私は東京から、新聞社の人は大阪からである。小雨が降っていた。約束の十時前に新聞社の車がきた。
     その界隈の町並はほとんど変っていない。銭湯も郵便局も小学校もそのままだ。変っているのは松竹下加茂撮影所が、某会社の倉庫になっていることだ。その小路は、撮影所のすぐ近くにあった。
     通りで車を下りて、小路へはいっていくと二軒長屋がある。この一軒に私は、昭和十七年春から十八年の秋まで住んだ。
     二階建ての長屋だったが、これ以上小さくは作れないだろうと思えた。階下が二畳と四畳半、二回が三畳と六畳、京都式の玄関から裏へ通し土間があって、二坪ほどの植木のない庭があった。
     むかしのままだった。時のながれが急に消えた。玄関の格子戸も二階の窓も少しも変っていない。ただ、二軒がそのまま右へこころもちかしいでいた。
     私が住んでいたのは向かって左である。玄関格子戸に手をかけたが開かない、見れば鍵がかかっている。隣の家の格子をあけて声をかけた。主婦が奥の四畳半から玄関の二畳へ現れた。私の家と同じ間取りなのである。
     「隣にいた新藤ですが」
     ああ、といったきり、主婦はその場に立ちすくんだ。
     丸顔で小柄な人だった。化粧をしないのに白い顔だった。それがそのままである。変ったのは私であろう、白髪なのだ。
     「お久しゅうございます」
     「ほんまにもう、お懐かしゅうございますな」
     「あの時はお世話になりました」
     「なんやらもう、夢を見てるようどすな」
     主婦の目には涙が光った。
     東京から京都へ移ったのは昭和十七年四月である。尊敬していた溝口健二監督に師事するためだった。所属していた東京の映画会社をやめて、見知らぬ京都へ移るのは勇気のいることだった。私一人ではとてもふみきれなかったであろう、妻がすすめてくれたのである。私は二十九歳、妻は二十五歳、結婚して二年目だった。
     私は売れないシナリオを書いているシナリオライターだった。自分の才能を信じた時期があった。間もなく壁にぶっつかる。才能を疑う季節がやってきた。周囲がみな厚い壁になる。脱出しなければ....たった一本いいシナリオを書ければそれで事は片づくのだが、それが出来ない。京都へ移ったのは脱出の試みだった。
     世帯道具は何もなかった、東京へ置いてきたのではない、はじめからそれらしき物を持たなかったのである。私たちは貧しかった。古机と蒲団があるだけだ、狭い長屋ががらんとしていた。
     下鴨の町も小路の中の人も、見知らぬ他人であった。隣の若い細君だけが親しい声をかけてくれた。ご主人は市役所へ勤めているということで、早い時間に出かけ、夜は遅かった。家計は決して豊かには見えなかったが細君の顔はいつも明るかった。主人を送り出すと掃除である。古びた表の格子に丹念な雑巾がけをした。夏冬つねに和服で、夏は洗いざらしの浴衣に糊を厚くつけて、ぴんと突っ張ったのを好んで着ていた。それはいかにも京女らしい風情だった。
     私は、溝口健二監督に読んでもらうためのシナリオをいく本も書いたが、ついにものにはならなかった。外には毎日のように出征兵士を送る歌が聞こえ、また戦死の遺骨を迎える行列があった。私と妻は、その歌や、その沈黙を、家の中で身をひそめて、息を殺し聞いた。私たちは大きく流れる時の中で、ただ抱き合っているほかはなかった。
     妻が、突然、血を吐いて倒れたのは一年たった初夏だった。結核にかかったら死を待つほかない時代である。痩せ細り、八月の朝死んだ。
     たった一人、隣の若い細君が、妻の死顔のそばににじり寄って、小さな体をかがめて泣いてくれた。

邻居

  时过境迁,事情过去已经三十多年了。为了报社的采访,我又再一次来到了京都下鸭的宫崎镇鸭川河畔。
  报社的晚报上有再访青春之地的连载,也向我订了稿。
  约好在四条大桥西边的桥下见面。我从东京来,报社的人则是从大阪来。天空中下着小雨。在约定的十点之前,报社的车来了。
  那一带街道的排列基本没变。浴池、邮局、还有小学都跟从前一样。只有松竹下加茂电影厂,变成了某家公司的仓库而已。那条胡同就紧挨着电影厂。
  从路边下了车,走进胡同就看见两座大杂院。在昭和17年(公元1942年)春天到18年秋天这段时间,我就是住在其中的一座里面的。
  虽说是两层的大杂院,却让人觉得不可能盖得比这还小了。楼下的两个房间是2张和4张半塌塌米大小(一张塌塌米约合1.56平方米),二楼是3张和6张,穿过京都式的门廊向里面走,是片连两株盆栽都没有的院子。
  跟以前一样。突然感觉不到时光的流转了。不论门廊的拉门还是2楼的窗户,一点都没变。只是,那两座房子在右边勾起我的回忆。
  我住着的是正面靠左的那间。手拉了一下门廊的拉门却没拉开,仔细一看原来是锁着的。拉开了隔壁的门喊了一声。那家的女主人于是从里面4张半的房间来到了外面的2张。格局与我家的一样。
  “我是曾经住在隔壁的新藤。”
  女主人啊的叫了一声,就呆呆地站在了那里。
  她脸圆圆的,小个子。虽然没有化过妆脸却是白的。还都是原来的样子。变了的只有我吧,已经满头白发了。
  “好久不见了。”
  “真是的呀,太怀念了。”
  “那时候多承蒙您照顾啦。”
  “您这是说的哪里话呀,真像做梦一样啊。”
  女主人的眼里闪着眼泪。
  从东京搬到京都是在昭和17年的4月。是为了师从当时所尊敬着的沟口健二导演。辞掉东京的电影公司的工作,搬到陌生的京都是件需要勇气的事情。想我一个人的话是万万做不到这种地步的,是妻子在一旁给我鼓励。当时我29岁,妻子25岁,是结婚后的第2年。
  那时候我是个写着卖不出去的剧本的剧作家。正处于相信自己才能的时期。没过多久就碰壁了。终于到了怀疑才能的季节。四周仿佛都成了厚厚的墙壁。不逃出来的话……哪怕只写出一本好的剧本也好啊,可是却终究也没能写出来。搬到京都其实也只是逃出来的一种尝试。
  什么家具也没有带,并不是留在东京了,而是从来就没有过。我们很穷。有的只是旧桌子和铺盖而已,狭小的房子里显得空荡荡的。
  在下鸭,不论街道上还是胡同里,所见的都是些陌生人。只有邻家的媳妇对我们挺亲切。那家的男主人由于在市政府工作,每天早出晚归。家境看来一点也不富裕,但媳妇的表情却总是显得很乐观。每天送走男主人就一定会打扫房子。在外面的陈旧的拉门上细心地挂上抹布。一年四季常穿着和服,夏天则吧洗好晒干的浴衣浆得厚厚的,穿起来硬整整的样子很是喜欢。那真是太有京都女子的味道了。
  我写了好几部想让沟口健二导演看的剧本,却怎么也没写出部像样的。外面每天都能听见送走出征士兵的歌,有时也会有迎接阵亡战士遗体的队列。我与妻子两个人,躲在家里屏住呼吸听着那些歌和那些沉默。我们在那动荡的时代,只有紧紧抱在一起。
  妻子突然吐血病倒,是有一年刚入夏的时候的事。那是个得了结核就只有等待死亡的年代。眼看妻子日渐消瘦,终于在八月的一个早晨死去了。
  只有一个人,邻家的媳妇,跪在妻子的遗像前,哭着蜷缩成了一团。

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