言?というものについて、その面白さについて、いままでいろんなことを?いてきました。振り返って?んでみると、うっかり同じことを2回?いていたりもするのですが、でも、まだまだ言?の面白さは尽きないなあというのが、Web での??生活10年を超えた私の正直な感想です。
关于语言及语言的乐趣,至今为止我写了很多相关内容。拥有10年多网络写作经验的我回过头去再次品味那些文字时,会真心觉得语言的魅力依然是无穷无尽的,尽管有些内容一不小心就写了两遍。
言?を使った面白い?びというものもありますし、言?そのものの持つ面白さというものもあります。とてもじゃないけれど、?ききれるようなものではありません。
有的文章介绍了趣味语言游戏,也有的是挖掘语言本身的乐趣的。语言这东西,怎么写都写不完。
例えば、言?を使った面白い?びとしては、このシリ?ズ・エッセイではあまり取り上げていません(一度だけここで取り上げました)が、回文というものがあります。
回文,亦称回环,正读反读都能读通的句子,是一种修辞方式和文字游戏,在很多国家的语言里都有,深受文人墨客及百姓们的喜爱。
举个例子,说到有趣的语言游戏,我在这个随笔系列中写的还是挺少的(只有一次),这次来介绍下回文吧。
回文というのはまことに日本?に?した?びです。と言うか、例えば英?などの外国?では却々作るのが?しいものです。それは?明するまでもないでしょう。
说到回文,这游戏确实适合日语">日语。或者这么说,要是在英语这些外语中,编写起来肯定是比较困难的,这点不用说大家也明白吧。
【日语">日语文字控】无聊请来玩“回文”
でも、とは言え、神?がお作りになった最初の人?、最初の男女であるアダムとイブの最初の会?が回文であった、というのはご存知ですか?
话虽如此,不过大家是否知道,上帝最初创造的人类、最原始的那对男女亚当和夏娃,他们最初的对话就是回文。
これはかなり有名な英?の回文です。アダムが?しかけ、イブが答えます。
这个英文是相当出名的,亚当搭话、夏娃回答。
Madam, I'm Adam. (お?さん、?はアダムです)
Eve. (イブです)
女士,我是亚当。
我是夏娃。
どうです、アダムとイブ、どちらの台?も回文です。
没错吧。不管是亚当的台词还是夏娃的台词都是回文。
この回文を私が知ったのはもう何十年も前、多分高校生か大学生の?だったと思います。でも、その?に私が「でも」と思ったことが2つあります。
我是在几十年前知道这个回文的,大概是高中或者大学的时候。只是当时,我有两个比较疑惑的地方。
1.でも、Madam って?婚してる女性への敬称ではないの?
2.でも、イブの言?が Eve だけってのは?理があるだろう? せめてI'm ぐらいはつかないか?
1、Madam不是对已婚女性的尊称吗?
2、夏娃的回答就只有“Eve”这一个单词,有些勉强吧。至少应该加上“I'm”不是?
でも、この2つとも後に正しい??ではないことが分かりました。1)のほうは辞?を引けばすぐに分かることで「女性に?する一般的な敬称」とあります。そして、2)のほうはアメリカの映画などを?ているとごく普通の会?だと分かります。
不过后来我明白了,这两个疑惑都是误解。第一点查下辞典就知道了,Madam是“对女性的一般性尊称”。第二点的话,看看美国电影就知道这是很正常的对话。
例えば、
男が女に握手を求めて、
Tom Wilson. (トム・ウィルソンです)
比如,
男性想和女性握手
说(我是)Tom Wilson。
女が男の手を握り返して、
Nancy MacGregor. (ナンシ?・マグレガ?よ)
女性回应男性,并和其握手,
说(我是)Nancy MacGregor。
とか。いや、?にテキト?に?いてみただけで、何かの映画を引用したわけではありません。ただ、洋画をたくさん?ているうちに、こういうのは当たり前なのだと知ったのでした。上のアダムとイブの会?のように、一方がフル・センテンスで自己?介して、他方が姓名だけで答えるというパタンも少なくありません。
哎呀,我就是那么一写,并非是引用了哪部电影。只是西方电影看多了,就会明白这是很正常的。像上面亚当和夏娃的对话一样,一方用完整的句子做自我介绍,另一方只回答姓名的情况并不少见。
これって、不思?だと思いません?
关于这点,各位不觉得很不可思议吗?
日本では、日本?では、まずこういう会?はありません。まあ、その前に握手を求めることからして少ないのかもしれませんが(笑)
在日本,在日语">日语中,这样的对话肯定是没有的。光从自我介绍前的握手来看,可能就很少见吧(笑)。
日本?の?合は、「山田太郎です」とか「?は山田太郎」とかはあっても、「山田太郎」なんて自己?介はあり得ません。下手すると、「はあ? 何言ってるんですか? ?は佐藤ですけど?」なんて返されそうです。
在日语">日语中,就算有“山田太郎です”、“?は山田太郎”这样的自我介绍,也不会有“山田太郎”。一不小心,对方可能就会这样回应:“哈?您说啥呢?我是佐藤啊。”
日本?って、私もここに何度か?いていると思うのですが、大胆な省略ができることが特?だと思うんです。主?がなくても、??がなくても、?なとこで切れていても不思?に文が成立してしまうのが日本?なんです。?かに英?でも口?となるとかなりの省略が?されますが、とても日本?には及びません。
关于日语">日语,我想我也说过很多次了,那就是有这样一个特征――能进行大胆的省略。即便没有主语、没有动词,在奇怪的地方断句,神奇的是句子也能成立,这就是日语">日语。说到英语,到了口语中也确实会省略不少,但是和日语">日语还是差远了。
实例解说日语">日语口语省略现象(附中日对比)
让外国留学生一头雾水的口语省略表达
ところが、自己?介の?合は英?では完全省略できるのに、日本?ではできない、と言うか、状?がそれを?さないんですよね。あるいは、握手という状?が英?に省略を?すのかもしれませんが。
但是,要是说到自我介绍,英语就能完全省略,日语">日语却不能,或者说,是情况不允许吧。这么说吧,也许是握手这种礼仪使得英语中能够允许省略。
そういう?に考えていると、言?に?する面白い?がどんどん?がって行きます。だから、このエッセイ・シリ?ズもまだまだ?き?けられそうな?がするのです。
这么一想的话,关于语言的趣事便能越挖越多。所以我觉得,这个随笔系列还能写很多。
人がいて、言?をしゃべって、面白さが?がって、エッセイが?けます。
有人在,然后说着话,于是趣事越来越多,随笔越写越多。
あ、そう言えば、これも有名な英?の回文です──人がいて、?画があって、?河ができた。パナマ! ( A man, a plan, a canal, Panama! )
啊,话说回来,这也是句有名的英语回文――有了人、有了计划、有了运河、巴拿马!( A man, a plan, a canal, Panama! )
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