您的位置:万语首页>学习指南> 日语阅读:福沢諭吉

日语阅读:福沢諭吉

来源: 万语网 | 更新日期:2007-08-21 18:17:01 | 浏览(162)人次

  福澤諭吉(ふくざわゆきち)は日本を代表する思想家(しそうか)で、慶応義塾(けいおうぎじゅく)大学を創始(そうし)した教育者(きょういくしゃ)です。明治維新(めいじいしん)の約30年前の1835年1月10日、大阪堂島(どうじま)の中津藩(なかつはん)の蔵屋敷(くらやしき)で、5人兄弟の末子 (すえこ)として生まれました。 福澤家は代々(だいだい)中津藩に仕(つか)えていた下級武士(かきゅうぶし)の家柄(いえがら)で、父親(ちちおや) は翌年(よくとし)で死亡(しぼう)したため一家は大分中津に帰り、福沢諭吉は地元(じもと)の塾(じゅく)で漢学(かんがく)を学びました。

  当時の日本は鎖国(さこく)でしたが、オランダとは通商関係(つうしょうかんけい)があり、福澤諭吉は20歳の時に長崎(ながさき)に出て、オランダの学問 (蘭学(らんがく))を通して新しい医学(いがく)や科学(かがく)を学びましたが、翌年大阪に行って緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾(てきじゅく)に入り、ここで非常に強い影響(えいきょう)を受けることになります。

  福沢諭吉が一番憎(にく)んだのは、身分制度(みぶんせいど)でありました。福沢が生まれたころは、下っぱの武士はどんなに学問(がくもん)があっても、上の者には頭(あたま)が上がらなかったでした。身分の上下(じょうげ)は子供の遊びにまで染み込んでいて、身分がちがうと、対等(たいとう)の言葉さえ使えなかったでした。諭吉は常(つね)に、なんとかして、身分の区別 (くべつ)のない、自由な天地をつくりたいと願いました。

  1858年の日本は、国を開いて西洋(せいよう)諸国(しょこく)の進んだ文明 (ぶんめい)を知りましたが、心ある人々は、いかにして日本の文明をそれに追いつかせるか、どうやって国の独立(どくりつ)を守るのかに苦労(くろう)ました。その指導者(しどうしゃ)の中で、福沢諭吉は特に近代精神(きんだいせいしん)の立場(たちば)に立った者としての第一人者(だいいちにんしゃ)でありました。開港(かいこう)されて横浜(よこはま)に多くのアメリカ人が入ってきた、彼はこれを見て、これからの時代は英語が必要と痛感(つうかん)、英語の勉強をしはじめました。そして、1860年、幕府(ばくふ)がアメリカに使節(しせつ)を送った時、咸臨丸(かんりんまる)に乗ってアメリカへ渡り、通訳(つうやく)として実地(じっち)に英語を勉強しました。不思議(ふしぎ)な運命(うんめい)で、維新の大立者(おおたてもの)、勝海舟(かつかいしゅう)も一緒(いっしょ)でした。翌年には、幕府のヨーロッパ使節の一行(いっぎょう)に加わり、約1年間、フランス。ドイツなど、ヨーロッパの7か国を訪問(ほうもん)してその雰囲気(ふんいき)を肌(はだ)で体験(たいけん)し、目を広く世界(せかい)に向けました。

  福沢諭吉が日本を発展(はってん)させるには、西洋文明を取り入れることが一番良い方法と考え、欧米(おうべい)の本を多く読み、また、多くの本を書き表しました。「西洋事情(じじょう)」、「世界国盡」、「文明論之概略」、「学問ノススメ」などを著書(ちょしょ)しました。「学問ノススメ」は当時のベストセラ-になり、10人に1人は読んだと言われています。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。」というのは、「学問ノススメ」の真先(まっさき)に出てくる言葉(ことば)である。

  1890年には大学を設けて外国人の教授(きょうじゅ)を迎え高等教育を開始(かいし)しました。そして 1898年にはそれまでの正課(せいか)を普通課(ふつうか)に吸収(きゅうしゅう)して、幼稚舎(ようちしゃ)。大学科と学年歴(がくねんれき)を統一、一貫(いっかん)教育が受けられる仕組みに改めました。

  福沢は何度か政府(せいふ)の要職(ようしょく)に請われているようですが、一貫してそれを断ってあくまで民間で文明開化(かいか)に貢献(こうけん)しました。彼は政治的な活動(かつどう)を中心におく板垣退助(いたがきたいすけ)らとは完全(かんぜん)に立場(たちば)を異にしていたようです。

  1901年2月3日、脳溢血(のういっけつ)のため死去。享年(きょうねん)66歳でした。

  福沢諭吉の思想は、西洋近代の文明によるアジアの後進性(こうしんせい)からの脱却(だっきゃく)、いわゆる脱亜論(だつあろん)を説(と)き、また個人 (こじん)の独立(どくりつ)、自由(じゆう)、平等(びょうどう)は天賦(てんぷ)であるとして、儒学(じゅがく)に代わる実学(じつがく)の必要を主張(しゅちょう)するものであった。そういう意味(いみ)では近代的な思想といえる。ただ、自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)には批判的(ひはんてき)で、日清戦争(にっしんせんそう)を熱烈的(ねつれつてき)に支持(しじ)した点では必ずしも、平和主義の立場ではなかったようでした。

  ◆注解◆

  蔵屋敷(くらやしき)―储藏兼出售粮食的栈房。

  仕(つか)えて―伺奉,做官,当官。

  家柄(いえがら)―门第,家世。

  塾(じゅく)―私塾。

  オランダ―荷兰。

  蘭学(らんがく)―兰学。江户时代中期以后,经荷兰传入日本的西洋科学。

  緒方洪庵(おがたこうあん)―江户时代后期的医学家、教育家,兰学研究者(1810年―1863年)。

  適塾(てきじゅく)―1838年、绪方洪庵在大阪开的兰学私塾。

  染み込んで―渗入,铭刻。

  第一人者(だいいちにんしゃ)―首屈一指的人物。

  大立者(おおたてもの)―重要人物。

  勝海舟(かつかいしゅう)―江户末期的政治家(1823年―1899年)。名为義邦(よしくに)、后改为安芳(やすよし)、通称麟太郎。号为海舟。

  肌(はだ)で体験(たいけん)―亲身体验。

  真先(まっさき)に―最前面的。

  板垣退助(いたがきたいすけ)―政治家(1837年―1919年)。参加过讨幕运动。1881年组织自由党。曽是伊藤内阁和大隈内阁的内相。

  幼稚舎―1874年,受福泽谕吉的委托,其学生和田义郎创办了少年私塾。初期名为[和田塾].后在1880年改名为「庆应义塾幼稚舎」。

  正課(せいか)—正规的课程。

  学年歴(がくねんれき)——学年,年级。

  要職(ようしょく)——重要职务。

  後進性(こうしんせい)―落后性。

  脱却(だっきゃく)——摆脱,抛弃。

  天賦(てんぷ)―天赋,天才,天赐。

  脱亜論(だつあろん)―1885年,福沢諭吉在「时事新报」上发表论文,主张日本应该脱亚入欧。

  日清戦争(にっしんせんそう)―即中日甲午战争

文章标签:日语阅读:福沢諭吉,实用资料,日语更多相关文章信息
如果下面的推荐课程让您意犹未尽,请猛击这里查看全部课程。
课程名称 有效期 课时 原价 优惠价 试听 购买
新版标准日本语初级上册 240天 80节 580.0元 370.0元
新版标准日本语初级下册 240天 75节 690.0元 480.0元
新版标准日本语初级全套 (上册、下册)
关闭查看课程有效期
查看
155节 1270.0元 590.0元
新版标准日本语中级 360天 243节 980.0元 590.0元
新版标准日本语全套(初级、中级)
关闭查看课程有效期
查看
398节 2250.0元 840.0元
新版标准日本语初级(上册)(唐蕾版) 240天 96节 698.0元 498.0元
新版标准日本语初级(下册)(唐蕾版) 240天 96节 698.0元 498.0元
新版标准日本语初级全套(上册、下册)(唐蕾版) 192节 1396.0元 898.0元
每天30分钟玩转日语发音 60天 19节 298.0元 198.0元
大家的日语(1) 240天 60节 600.0元 500.0元
N5达人日语会话 120天 37节 598.0元 398.0元
大家说日语(1) 150天 15节 398.0元 258.0元
大家说日语(2) 150天 18节 498.0元 358.0元
日语发音+大家说日语1.2套餐
关闭查看课程有效期
查看
52节 1194.0元 498.0元